セーフティケースの考え方からは,ゴールが最初にあり,プロセスは二次的に作られる.というのが前回の話でした.
IPSEという言葉が20年ほど前にありました.Integrated Process Support Environment の略です.2つめの単語は,Projectの間違いではありません.もともとソフトウェアプロセス開発に関わる議論は,技術に関わるものでした.代表的な論文は,Osterweilさんの”Software processes are software too”(doi:10.1007/11608035_3)です.直訳すると,ソフトウェアプロセスもまたソフトウェアであるということになります.このタイトルは,少し誤解を招きやすいタイトルです.特に今の時代ですと,人間機械に対してプロセスもプログラムすることが可能であるという風に解釈してしまうかもしれません.
実際には,読んで頂くしかないのですが,主張しているのは次のことです.ソフトウェア開発というのは,プロジェクト毎に環境も求められるものが異なっている.かつ,一度しか作られない.しかし,これは我々が対象としているプログラミング開発に似ている.例えば,我々は場面に応じたライブラリを用意し,必要に応じて組み合わせる.万能プログラムはなく,必要に応じて我々はプログラムを構成するように,開発支援環境を考えることができるのではないのか.というのが主眼でした.我々の活動をプログラミングするということではなく,我々の活動が多様であることを前提に,如何にその多様性を(我々が持っているソフトウェア技術を使って)支援できるかというのが主眼でした.そして支援のための環境を作る,それがIPSEというわけです.
しかし,世紀が変わる頃から,プロセスについての議論というといかにプロジェクトを管理をするかという話が主流になってきます.他とは異なりソフトウェア開発が持つ本質的な多様性は変わらないわけですから,単なる管理だけだと,膨大なリストを作って全体を包含しようとするか,とにかく目に見える要素を増やそうということでしかなくなります.例えば,そこでは労働時間という肉体に密接に結びついた要素が重要と云うことになります.
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ゴール指向のアプローチの特徴的なところは,ナゼを含むところにあります.GSNでいえば,立証のノードであったり正当化ノードが相当します.安全性に間接的に関係するKAOSのアプローチでいえば,アンチゴールやドメインプロパティノードを通してナゼを説明することができます.どういう証拠を用意すれば,安全要求を達成できていると説明できるかを考え,そう行動し,そのこと自身を記録に残すということになります.ここでも記録が大事なのではなく,ナゼを考えた上で,ナゼを含めた記録を残すことが重要です.それがないと,例えば設計に対してレビューを対応づけるという機械的接続だけでよしとしてしまうかもしれません.
このことを敷衍すると,安全性に限らず一般の開発プロセスでも同様ということがわかります.同じようなものを同じように作る場合ですら,一般的にこのナゼは必要なわけですから,ましてや多様な入力を持つソフトウェア開発において,このナゼが書かれないまま,例えば,設計に対してレビューをしましたというプロセス記述が妥当だとは誰にもいえないと云うことになります.レビューをしたという事実が重要ではなく,どういうゴールを達成するために,いかなるレビューをしたかが意味を持ちます.多くの場合客観的証拠のみでは意味がありません(レビューでの不具合指摘ゼロは,設計が完全であったかもしれないし,レビュー中みんな寝ていたかもしれない).
ナゼを考えるのはきわめて人間的な精神活動です.しかし,だからこそ,何かを作るというのは,楽しいのだろうと思います.
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今回のタイトルは,ハンナ・アレントの著作の一つからとりました.「技術的知識という現代的意味での知識と思考とが,真実,永遠に分離してしまうなら,私たちは機械の奴隷というよりはむしろ技術的知識の救いがたい奴隷となるだろう(志水速雄訳)」この一文のためにタイトルをお借りしました(実は,今回は別の内容を書くつもりだったのですが,ついタイトルを先に決めてしまったので少し内容と合っていないのですが,ご容赦を).
この本では,人間の活動を三つの視点からみます.労働(ここでは生命が人間であることの必要条件)・仕事(生命を越えて社会に働きかける−世界性−が人間の必要条件)・活動(無媒介に人と人とが結びつくー多数性ーが人間の必要条件)です.ところで,私が考えごとをするときに参照する無形労働の提唱者の Lazzaratoさんは,ことある毎に(すくなくとも最近の著書でつづけて(*))アレントのこの見方が無効であるといいます.Lazzaratoさんの無形労働概念は,「不安定な労働を通して仕事をするために活動を強いられるという現実」からスタートします(それは欧州ではすでに10年以上前から起きており日本も近づいている現実).従って三つの視点を区別することができない.しかし,アレントの区分があることによって,無形労働概念が説明しやすいというのは間違いないだろうと思います.
(*) 邦訳での最新刊は,「<借金人間>製造工場」(杉村昌昭訳,作品社).原題もほぼ同じで”la fabrique de l’homme endetté”.
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【追記】お知らせです.今月の26日SEA-SPINで「システムの安全性」を考えるという会があります.ご興味がありましたらご参加ください.