先日の日曜日,桐生市の無鄰館で,金原寿浩さんの展覧会にでかけてきました.「黒くぬれ!」がテーマで,福島原発事故をモチーフにしていました.墨で書かれた無残な建屋は,リアルな写真で見るよりも,心に残ります.今回は,コンピュータを用いたインスタレーションの可能性について,少し可能性を議論したのですが,お互い得意とする表現分野が異なるので,伝え合うのは難しい.
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さて,今回は良く云われる「要求」のあいまいさについて考えたいと思います.いつも気になるセリフに「要求」が曖昧だからソフトウェアが作れないというのがあります.多くの場合,これは間違っています.例えば,誰かに竜の絵を描いてもらおうと思います(来年は辰年ですし,二年連続日本シリーズおめでとうというのもありますね).
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”竜の絵を描いて,でも玉は咥えなくてもいいよ" |
このとき,飛翔している姿にするか,どこかに潜んでいる姿にするか位は伝えた方がよいかもしれません.しかし,ヒゲの長さは,体長の12.98765%にすることとか,爪の幅は,耳に対して,1/11.23581321345589にしなさいとかはいわない.その数字が竜を表しているわけではないからです.事後的に,細かな数字をいうことは可能でしょう.しかし,それでは要求にならない.
この時点で,先の要求は十分に正確なのです.抽象度に応じて,必要な記述レベルは自ずと定まります.それをムリに記述しなければならないとするのは,誤りです.
では,仕様はどうかという議論もあります.要求は形式化の行為を経て仕様になります.ここでの形式性には,何らかの数学的な背景(例えば集合であったり時間的なふるまい記述)や,物理法則があります.その範囲では,或いはその側面では,無矛盾を担保できます.
ただ,ここにも問題があって,先の12.98765%を仕様として書くことはできますが,機械的に導出することはできません.それが可能なのは,線形で発展するシステムだけで(即ち,既存のささやかな改修),それ以外は別の手段をとる必要があります.形式性の持つ有効性は,あくまで存在するもの或いはコトの*形式上の*記述であること,また,形式性は新たなものを生み出すこととは別のことになります.
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金原さんとは,先月末に同じ場所で個展を開かれた岸田孝一さんのパーティで知り合いました.岸田さんは画家として表現なさるのですが,「作者の意図を伝えない,そもそも意図はない」ということをおっしゃられます.誤解しているかも知れませんが,意図なき表現は,形式性を排除できる.また,より自由な表現を可能にすると,と理解しています.しかし,それもまたメタには意図だとすると,つくづく表現するということはムヅカシイと思います.
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