KAOS (37) 観察と民族学的研究(2.3.2)

言語学的・教育学的研究において,対象者はしばしば靴紐をどう結ぶかを尋ねられる.これは,言語学的限界が露呈する問いかけである. 1

冒頭の文は,KAOS本でも引用している有名な論文から借用している.前回のインタビューガイドラインに,答えられない質問はしないとあったが,まさに靴紐の結び方は,答えられないものの一つである(論文には,船乗りは専用の言語によって伝えることができるとある).

靴紐結びは言語化が難しいだけで,実際に観察すればできる.このことは,言語化が向いている知識と,そうでない知識(身体的記憶)があることを示している.

この項では,外部観察を,幾つかに分類している.

受動的 プロトコル分析 対象者は,話しながらタスクを実行する.観察者は,それを書き留める
民俗学的研究 長期にわたって,対象グループを観察する.タスクばかりではなく,そのタスク遂行の態度や特定の状況に対する反応・ジェスチャ・会話なども記録する
能動的 対象グループの一員となって,タスクを共に実行する

これらの方法の利点というのは,幾つか考えることができる.より詳しく実際の状況が分かる・モレに気づく・問題領域をより深く理解できるといったことである.


 ここでは,「(文を読んで)分かる」ということについて考える.

何度か利用しているボロメオの結び目を使う.我々は,現実を理解するために象徴界のコトバを使う.しかし,それはあくまで間接的で,現実からはコトバを介さない接触がある(現実界-想像界).コトバが全てを写し取るわけではないので,イメージの現実と,コトバを介した現実は異なる.

ボロメアの結び目のJ. Lacan 氏の主著は,エクリ(écrite)である 2.タイトルに「書かれたモノ」とついたこの本は,講演録が主となっている.「話されたコト」である.私の解釈だと,次のようになる.書くという行為は,そこにある一定の整合性を必要とする.少なくともそう訓練される.そうすると,話にはいわゆる起承転結が必要で,閉じてしまう.閉じたシステムは,安心して消費することができる.

一方で,閉じていない裂け目のあるシステムは,非完成品であり,消費することができない.しかし,謙虚な読み手に対しては,それによって,その読み手の心の内に何かを引き起こすことができるかもしれない.書かれたモノによっては直接伝えられない何かをである 3.そうだとすると,難解といわれるエクリにも理由があるのかもしれない.書くことによっては(或いは他のあらゆる方法を使っても)伝えられない内容を,講演録という形で文字にした.文字しかないから.

もちろん,閉じない文章が全て,直接のコトバに頼ることなく,伝える力を持っているわけではない.単なる欠陥商品かもしれない.どちらかは,にわかに分からない.


先の外部観察法あらためて見るとおもしろいことが分かる.受動的とあるのは,ひたすら文字にならないものを文字化しようとする試みである.プロトコル分析の記録には,ためいきや言いよどみ(沈黙の長さ)といった記号が埋め込まれる.能動的とあるのは,そこの一員になり,身体を通して学ぶ.従って,グループの一員として,文字を必要としない.長く銀行の仕事をしているプログラマは,限りなく銀行員に近づく.

暗黙知は,決して顕在化されない.顕在化した瞬間に暗黙知であることのよりどころ,身体性を失ってしまうから.

要求工学の実践者の難しさは,この両者の間でバランスをとることである.そして,それは全ての魅力的な仕事に共通していえることでもあると思う.

(nil)

Notes:

  1. Goguen, J. A.; Linde, C. In Techniques for requirements elicitation, Requirements Engineering, 1993., Proceedings of IEEE International Symposium on, 4-6 Jan 1993; 1993; pp 152-164.
  2.  エクリ(1・2・3),佐々木孝次ほか訳,弘文堂.折角なので「日本の読者に寄せて」から,少し引用します.「日本人は彼らの話について自問することをしません.彼らはそれをふたたび翻訳してしまいます.[…] 私には精神分析者たちの話と相容れない点があるなどと云う事実は日本人になにをすることができるのでしょうか?そういう事実には,私のあった人たちのだれひとりとしていささかも関心を示さなかったのです.関心をもったにしても,そのことが細部にしか出てこないような,アメリカ土民の民俗学に関連してなのです」
  3. 行間を読むという話ではない.行間を読むのは結局の所,話を閉じようとする行為に過ぎない

KAOS (36) インタビュー(2.3.1)

インタビューの効果は,次の重み付け割合で定まる:得た知識の有用性と範囲,知識を得るのに要した時間 (p.77)

ここでは,問題領域の知識を得るためのインタビューをするときのガイドラインを示している.

  • 適切な人を見つけなさい.完全で信頼できる問題領域の知識を得るために.
  • 準備してインタビューに臨みなさい.そうすることで適切なタイミングで,インタビューを受けている人の課題に正しく焦点を当てることができる
  • 最初から,相手が気持ちよくインタビューを受けられるようにしなさい
  • 常に,協力者としてふるまいなさい
  • 相手の仕事・懸念事項・問題に,集中しなさい
  • 相手が,自由形式で答えられる質問をしなさい
  • 広い心でいなさい.予期はしていなかったが興味深い答えに対しても,掘り下げるようにしなさい.
  • 決定したこと,既に解決したこと,他の疑問のある点について,攻撃的になることなく,どうしてそうしたかを尋ねなさい
  • 有益な情報を得るという観点からは,決して行ってはいけないこと
    • 偏見のある質問
    • 特定の答えを要求するような断定的な質問
    • 答えられないような質問
    • 問題領域を知らないことから来る愚かな質問
  • 速やかに,インタビューの聞き取り録を作成すること
  • 振り返りの説明会を企画すること.そうすることで,インタビューを受けた人たちが関心を持ち続けてくれる

日本では,インタビューというのは余り実施されていないと感じる.一方で,ここでのインタビュー注意事項は,要求工学に限らず広くコミュニケーションに必要なことに違いない.

(nil)

KAOS (35) 知識の再利用(2.2.7-2)

抽象問題領域は,抽象概念・抽象タスク・抽象アクタ・抽象対象・抽象要求・抽象ドメインプロパティから構成されると考えている.(p.74)

 冒頭にたくさんの抽象がついた言葉が並ぶ.この中で目新しいのは,タスクであろうか.KAOS手法の中で,タスクという用語は,余り使用されない.エージェント(アクタ)が機械ではなく,人間である場合,その操作をタスクと呼んでいる.

さて,ここでの議論を始める前に少し過去を振り返ることにする.

アナリシスパターン 1

デザインパターンの議論が華やかなときに,ひっそり(?)と出版された.とても示唆に富んだ本だが,直接的なありがたさが見えづらかったせいか,話題になることは少なかった.

analysis_pattern_meta_model

アナリシスパターン表現型例

これは,「測定」における知識としての「表現型 2」と,その操作との関係である.最初に提示されているもっとも単純な形式である.これだけでは,不明である.

具体的な例を当てはめてみる(なお,多重度に関してはUML風の表記に変えている).いま,表現型として,身長を考える.それは,誰か固有の「人」のものであり,量としては長さであり,測定は身長計で行う.これは,体重であろうが,CRP(C反応性蛋白)であろうが,同じである.設計におけるパターンと同様に,一つのメタな構造がある.それを分析において必要なものを探し出して,カタログ化したのが,アナリシスパターンである.

Catalysis 3

個人的には,情報系の書籍の中で,最も啓蒙された本である.言語化できなかったもやもやを,きちんと文節化してくれている.それでもなお,もやもやのまま書かれているところもたくさんあるが,それもまたこの本の良さである.出版されてずいぶんになるが,今でもその有効性を保っている.

catalysis model framework

Catalysis モデルフレームワーク

Catalysis では,モデルフレームワークという記述法がある.<>は,使用時には具体的なクラス名が入る.リソース割当問題を,整理すると上記のように書ける.それは,英会話教師のスケジュール管理でも,配管工のスケジュール管理でも同じになる.

KAOS

KAOSの場合,特別な表記法が用意されているわけではない.考え方のみである.

kaos_metamodel

メタモデルとしてのゴールモデル要素と図書館システム要素との対応

ここでは,ゴールモデルにおけるメタレベルとシステムレベルの関係を示している.ゴールモデルは,この対象・ゴール・エージェント・操作の関係を持っている.図書館であれば,対象は本であり,ゴールは本の貸し出しであり,エージェントであるユーザが,貸出という操作を行うことを示している.

 さて,今回の主題は,問題領域依存の知識表現と再利用である.ここまでは,Analysis Pattern は,測定というシンプルな例を用いた.問題領域よりのものも多く,カタログには,貿易やデリバティブ取引というのもある.Catalysisは,カタログこそ持っていないが,特定の問題領域の知識を,モデルフレームワークとして表現できる.

さて,KAOSは?先の例は,ゴールモデルの構造に当てはめているだけなので,問題領域に依存した知識とはいえない.

Lamsweerdeさんは,基本的にはテキストの人だと思う.KAOSというと,ゴールモデルを初めとする図式に注目することになるが,KAOSの魅力はテキストの操作にあるからだ.

ここでは,次のような例が示される.

いま,データ管理という範囲の広い問題領域があって,そこには次の記述がある.

管理下にあるデータベースは,関連するシステム外部の状態を正確に反映しなくてはならない.

図書館管理において,以下の置き換えを考える.

「管理下にあるデータベース」→ 「図書館データベース」

「関連するシステム外部(the corresponding environment data)」→「書庫」

図書館管理というより狭い問題領域への置き換えである.そうすると,次の要求が必要であることが分かる.

図書館データベースは,書庫の状態を正確に反映しなくてはならない.

テキストの人というのが分かってもらえると思う.

(nil)

Notes:

  1. Martin Fowler, Analysis Patterns: Reusable Object Models, Addison-Wesley, 1997.
  2. phenomenon typeの日本語訳である.一般に,表現型は遺伝子の目に見える発現を表し,英語はphenotypeである.本来は別の訳語が望ましいと思うが,他に適切な訳語が思いつかなかった
  3. D’Souza, D. F.; Wills, A. C., Objects, Components, and Frameworks with UML: The Catalysis Approach. Addison-Wesley Professional: 1998.